【焼津の鰹文化】
江戸時代から続く
焼津の鰹文化。
焼津は日本武尊(やまとたけるのみこと)が敵に向火を放った地という伝説から
「ヤキツ」と呼ばれ、それが地名の由来になっています。
駿河湾に面し、古来より黒潮にのって北上した鰹の群れが
夏の初めには手の届く距離に群泳していました。
江戸時代には徳川家康より船足の速い八丁櫓を許されてから、鰹漁業が大きく発展しました。
明治以降は遠洋漁業の先進地となり、
また先人達のたゆまぬ努力と焼津魂で鰹節に代表される水産加工業も、大きな飛躍を遂げました。
焼津の鰹文化は、歴史ある文化として今でも地元にしっかりと根付いています。